ラトビアの夏の家

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2014年に訪れたラトビアの夏至祭。ヤーニスの丘で古代夏至祭に参加して、その後ガイド女性の知り合いのラトビア人家族の別荘で一晩過ごせることに!

夏至休みには普段離れて暮らしている者も集まって、家族や親しい人たちでゆっくり過ごすそうで日本の正月休みのようなものですね。ラトビア人の多くは田舎に夏の家を持っており、自然の中で短い夏のひと時を過ごすのが習慣だそう。良いですよね。

緑が美しい初夏のラトビア

 訪れた夏の家には、そこの家族だけではなく結構な数の人たちが滞在していました。家族の友人やそのまた友人や?子どもも大人も入れて、なんと20~30名くらいでしたか、正直誰がこの家の人たちなのか、結局最後までよく分からなかったです、笑。

 窓の木枠が素敵にパステルカラーで塗られた木造の年季の入った家で、2階に沢山のベッドが並んでいて、私は一人でベッドで寝ましたが、子どもも多くみんな雑魚寝的にゴロゴロしていたようです。誰でもウェルカムなおおらかさと、良い意味で細かいことを気にしていない空気がありました。そりゃこれだけ人数がいてあれこれ気にしていたら、ホストはへとへとになってしまいますよね。

やり取りは当然ラトビア語なのですが、ラトビア人は人に対してずかずか踏み込んでこない奥ゆかしさがあるようで、それで余計になんのこっちゃか分からないことばかりでしたが、あとから聞いたところでは、私が気持ちよく過ごしているか皆さんとても気にしていたんだそうです。いや、直接言ってくれて良かったのに笑。ラトビア人はとてもシャイです。そして日本人もシャイだから・・あとは推して知るべし。

家はだだっ広い草原の中にポツンとあって、見渡す範囲、他に家はなく静かでした。一応ここまでは庭という範囲はあるのですが、その向こうに草原が広がっていて、どこまでが家の敷地なのか分からない。そんなところで草花を摘んだり、野生のルバーブを採ってきて刻んで砂糖をまぶしておやつにしたり、夏至なのでもちろん花冠もつくります。裏庭ではお祖父さんらしき人が大きな燻製箱で肉を燻している様子。初夏の背の高い草花が風に吹かれて揺れて、青い空にぽんぽんと浮かんだ雲がどこかに向かって流れていました。

日本では経験したことがない環境でした。ラトビアの人口は200万人程度で面積は北海道くらいなので、まさに北海道のような感じとイメージしても良いかもしれません。広い空と草原が夏の北海道のようですよね。ちなみに北海道の人口はラトビアの倍以上の500万人規模なので、更に空いている北海道という事になるでしょうか。

そしてもう一つ大きな特徴として、ラトビアやバルト諸国にはほぼ山はありません。高低差が少ないんです。そのためか分かりませんが、雲が日本で見る様子とちょっと違う感じがしました。ポンポンちぎられて散った雲がふわーっと流れていく感じ。

別荘の周りの草原と森

 家に着いたのは午後だったと思いますが、なにせ夏至なので一日が長く、いつまでもこの時間が続いていくような気持がして、日本にいる時のような時間感覚は消えました。庭のテントの下に料理が用意されていて、そこで適当に料理を食べたり、草花で冠をつくったり、音楽をかけて輪になって踊ったりそんな風に過ごしていました。(私はそれを眺めている感じ)

サラダやベリー
燻製豚肉とパンを戸外で食べる
裏庭の木陰のベンチが気持ちよかった

仮装した子どもや大人がぞろぞろ庭に出てき始めたのが夕方9時頃。野外寸劇が毎年恒例のメインイベントのようでした。庭に手づくりのセットを用意して、そこで大人も子どもも仮装して劇をして過ごす夏至の夜。そんなことってあります?

時間の過ごし方の違いにくらくらするというか、現実でないような不思議な気持ちになっていました。

野外劇の為のてづくり舞台
今宵の役者たち
魔女の女の子
貫禄たっぷり、何の役?
このご夫妻が家のオーナーだったのかも

 日本で大人と子どもがこれだけの人数集まって、こんな自然な気さくな雰囲気になるだろうかというと多分ならないだろうし、なぜそうならないのか、根本のところは分からないけど、気取りのなさと”過剰なおもてなし感”のなさを感じました。本当に自然体。どっちがホスト、ゲストということなく、それぞれに気持ちよく過ごせばいいという共感があって成り立っている空間というのでしょうか。日本だと年齢性別ごとにふさわしい役割分担のようなものがあって、それにふさわしい態度をとるべきという無言の圧力がある気がするし、それが窮屈で苦手なので、こんな自然な雰囲気は羨ましかった。

劇が始まりました。内容は分からないけど。
大騒ぎのうちに劇が終わって日が暮れてきました。

日が暮れたあと、歩いて15分ほどの海岸に行き、砂浜でかがり火を焚いて松明に火をつけました。火を囲んでラトビアの歌を歌い始める人たち。

きっと1991年の独立以前には、夏至祭りや大勢でラトビアの唄を歌うということは公然とはできなかっただろうし、そもそもラトビアという国があって、どんな民族でどんな国なのかという知識を当のラトビア人自体(ソビエト下で生まれたラトビア人は)持っていなかった(もしくは隠されていた)ようです。それは先日読んだ「ソビエト・ミルク」という本で知ったのですが。

だから余計に独立を果たしたあと、ラトビア人のアイデンティティや文化を大切にして次世代に繋いでいくという気持ちを強く持っているのでしょう。

どこを撮っても絵になる気がした

翌朝、3人の男性が皆からプレゼントをもらいました。ラトビアでは1年365日にそれぞれ名前がついていて、自分の名前の日に周囲からお祝いされる慣習があるのだそうです。その日の名前を忘れてしまったけど、少年とおじさん2人が3人並んで大きなパンのような焼き菓子をもらってニコニコ座っていました。本来の誕生日はプレゼントをもらうのではなく、自分から周囲の人に感謝を込めてプレゼントを贈る、そういう日なんだそうです。

 旅行者としてちょっと滞在した位でその国の事が分かるわけではないけれど、心が洗われるようなラトビアの夏至休みでした。