静岡と言えば、まずは新鮮な海産物の宝庫なのである。その理由の一つが静岡に面する海、駿河湾の深度だ。駿河湾の最深部は2500メートルという深さで、日本の湾の中ではもっとも深い。水深が深ければ魚にとっての栄養が豊富となり、多数の魚類が集まって恵みの海となる。
1000種類もの魚類が集まる豊かな漁場駿河湾では、江戸時代からマグロやカツオ、鯵などの漁が盛んにおこなわれてきた。現在でも、沼津や焼津などの名だたる港には多くの魚類が水揚げされ、とびきり新鮮な魚介を求めて沢山の人たちが集まってくる。盛り盛りの海鮮丼などグルメ番組常連の場所でもある。
そんな魚介類の宝庫である駿河湾でだけ、獲れるエビがいる。
日本で唯一駿河湾でしか取れないのが、じゃじゃん!!桜エビなのである。
日本の桜エビの水揚げは100%駿河湾産だ。甲殻の赤い色素が桜色に見えることから名付けられた、桜エビの漁が駿河湾で始まったのは、意外なことに明治以降のことで歴史はそれほど古くない。
ということは、江戸時代には桜エビは食べられておらず、宿場で桜エビの時雨煮やかき揚げをうまそうに食べる旅人がいて、という光景もなかったという事になる。駿河の名産と言えばベスト3には入る桜エビ、その漁が近代(といっても100年は超えているけど)になって始まったと知って少し意外に感じた。
なぜ江戸時代には桜エビは食べられなかったのだろうか?と不思議になるが、それは桜エビの生態に理由があるようだ。桜エビは深海に生息する体長4~5センチの小さなエビで、日中は海の深いところにいるが、深夜に水深20~50メートルまで浮上する性質がある。そのため江戸時代の漁では、桜エビは見つからない存在だったのだ。明治中期になって、アジの網引き漁の際にたまたま網が深く沈み、そこに桜エビがかかった経緯で、その後本格的に漁が始まった。産卵期を避けた春漁(3月~6月)と秋漁(10月~12月)が行われている。桜エビ漁の中心は東海道は蒲原、由比湊あたりである。
今回私は、東海道のおいしい宿場ご飯を探索しに来たので、明治以降食べられるようになった桜エビについてはあまり意識していなかったのだが、やはり蒲原、由比に行こうと再考したのには理由がある。
桜エビ漁をする蒲原、由比あたりでは、水揚げしたエビを富士川の河川敷に天日干しにするのだが、そうすると河川敷は一面桜色に染まるそうで、それが季節の風物詩と言われているそうなのだ。ぜひその光景を見てみたい!と思ったのである。桜色に染まった、河川敷のその向こうに雄大な富士山が見えるそうだ。そんな光景はもちろん、江戸時代にはなかったのだが、素敵な新風物じゃないだろうか?もっと自慢しても良いんじゃないだろうか。少なくとも、コンセプトがふわっとした箱もの施設より好感も興味も持てる。一面の桜色を見て、雄大な富士を仰いだ後、漁港に戻って桜エビを堪能しようという計画を立てた。
桜エビの干場になる河川敷は、東海道線新蒲原駅から車で10分程度のところにある。場所を教えてもらうために蒲原商工会に電話をすると、桜エビ漁は天気の悪い日は行われないため、そうすると天日干しもないそうで、確認してから行ってほしいとのこと。なんとそのための案内ダイヤルがある。午後1時以降に電話をすると、前日に桜エビ漁があったかどうか自動音声で知らせてくれるという。なんて親切なのだ!やはり桜色に染まる河川敷を見てみたいと強く惹かれる人がいるのだろう。
蒲原に向かった日は晴天で、しばらく曇天が続いた後の晴天だから、天日干しにはうってつけだろう。きっと河川敷一面の桜色を見られるに違いないとワクワクしながら新蒲原の駅を降りた。
静かな人気のない平日の新蒲原駅。駅前のロータリーでタクシーに乗り込み、桜エビの干場の河川敷に行ってくださいと伝える。タクシーの運転手さんは「あーあれね、うーん、今日はやってるかなぁ。」と不穏なことを言う。事前に調べたネットの情報では、2018年以降、桜エビは記録的な不漁続きだそうでそこをちょっと尋ねてみた。
「そうなんだよね、取りすぎちゃったんだよね、あれは。」と言う。
これもインターネットで得た情報だが、桜エビの不漁は富士川水系の濁りが原因で、それをたどれば富士川上流の雨畑ダムの放水の堆砂率が高く、堆砂が海底の湧水の出口を塞いでしまっており、海洋生態系に影響が出ていることが考えられるそうだ。しかしこの説についてはタクシーの運転手さんには言わなかった。こういう繊細な話を外から来たものが勝手に言うべきではないのではと遠慮した。
「どこの地域でも取りすぎて不漁になる魚ってあるでしょ、それなんだよね。」と運転手さん。そうか、もしかするとそういう面もあったのかもしれない。そうこう話すうちに河川敷に着いたが、人気はない。
「ちょっとこのまま奥に行ってみよう・・。」と入れるところまで車を進めてくれるのだが、辺り一面桜色どころか灰色の砂利が続くばかり。
「悪いねぇ、わざわざ来てくれたのに、今日はやってないみたいだね。」
「ですねぇ・・。」
「一昔前は凄かったんだよ、辺り一面真っ赤になってね、そんで向こうに富士山がよく見えてね。でも今日は富士山も霞と雲で全く見えない、本当に悪いね。」と申し訳なさそうに謝られてしまった。
そう、今日は富士山も雲に覆われて朝から全く姿が見えてない。桜エビも影も形もない、もうこれではどうしようもなく引き返すしかなかった。この日の夜食事をした、島田という町の居酒屋でも、桜エビの不漁が続いて高値すぎて手が出しにくいと大将が話してくれた。以前は500円で出していた品も、値段を倍にしないと元が取れないそうで、最近はあまり桜エビを仕入れないそうだ。でも取れたての桜エビは甘味があって本当に美味しいから、ぜひ機会があったら生で食べてほしいと言われた。
タクシーで再度新蒲原駅に戻った私は、運転手さんに勧められて町の裏手の御殿山の散歩(これが結構ハードだった!)をして、その後旧東海道の街道筋をぶらぶらし、明治期に建てられたレトロな歯科医院の建物を見学し、桜エビを出す鰻屋で桜エビのかき揚げとしらす丼を食べた。一面の桜エビ天日干しは見られなかったが、自然と歴史と美味しいものを堪能したには違いなく、美味しい宿場ごはんというお題をコンプリートしたのだった。それでも桜エビの天日干しを見られなかったのは絶対心残りだし、不漁続きで本当に桜エビが食べられなくなる前に必ずリベンジする予定。
宿場町ごはんの旅はこれからも続きます。