おいしい宿場町ご飯を食べに行く。(東海道 金谷編 茶畑ぶらぶら)

この記事は約5分で読めます。

前回蒲原を訪れたのち引き続き、普通列車に乗ってガタゴト旅した。

しみじみ考えていたのだけど、JR東海道線というのは、遡れば東海道五十三次を基盤にして出来た路線のことなのだ。この江戸時代の遺産があったからこそ、東京ー京都間を繋ぐ今の東海道線がある。

日本凄い論者じゃないからあまり誤解されたくないけど、そのシステムはしみじみと考えるとすごいなぁーーーと思うのだ。

東海道五十三次は、東は品川から京都までを五十三の宿場町で繋いだ街道で、全長487.8キロメートルにもなる。

ああ、そうですか、なるほど・・。

いや、ちょっと待って!!

マジ??

と、つくづく驚嘆したのである。

これはあらためて考えたらすごい事じゃないだろうか??

東京から京都まで、大名から庶民までどんな人でも、歩いて辿り着けるように整備された道なのである(大名は歩かないけど)。そりゃ五十三も宿場があれば、どうにか歩いていく事ができる。およそ10キロちょい歩くと次の宿場に着く計算だ。

幕府だってボランティアでそんなことをしたわけじゃなく、様々な思惑あっての街道整備という事だろうけど、しかし長い長い道のりを宿場町で繋いでいこうよという考え、良いじゃないですか。そんなシステムがこの時代の他の国にあっただろうか。

金谷宿の石畳の旧街道。この石畳は近年整備したもの。

ためしにパリやロンドンで調べてみたれど、そういうものはなさそうだった。

例えばの話し、ロンドンからパリまでの距離 214 マイル(348 キロメートル)を数十の宿場町で繋げていったらどうだろう?途中海があるし、国を跨いでいるのでたとえが悪いかもしれないけど、しかしもしそんな街道があったら、どんな文化が花開いていたことかと想像すると、ちょっと楽しくなるでしょう?パリロンドン膝栗毛、笑。

東海道中膝栗毛

現代の旅のスタイルというと、まず目的地を決めて、そこに向かうというのが一般的なんだろうと思う。そこで観光なり温泉なり遊んだりして目的を果たして、また一直線で帰る。効率的だけど、一直線すぎて目的以外に目を向けない感じがなくはないか?

最終目的地はある、でも別に予定は未定という余裕がほしい。そういう余裕を受け入れがたくさせてる空気が今の時代の息苦しさなんて事も思ってしまう。予定外とか想定外という言葉をネガティブなイメージでしか捉えられなかったら、いつも予定調和なことしか出来ないし、東海道中膝栗毛のような話も生まれない事になるだろう。

昔は今のようにひとっとびで目的地に行けるわけではないから、良きにつけ悪しきにつけ、旅の過程での経験の絶対量の多さは今の比ではないはずだ。

良い経験ばかりじゃなかったかもしれないけど、だとしても、現代のように行ってきますと出発して、一直線に目的地に向かい、数時間後に目的地に到着してしまったら、江戸時代の旅人なら、釈然としないのではないだろうか。

歓迎する場合もあるだろうが、旅が失われたという感覚は生まれそうである。

Gonna take a slow journey 牧之原台地の茶畑にて

 現代の旅を批判したいわけじゃないけど、たまに目的地だけが目的じゃないスロージャーニーをやってみても良いのじゃないかなと思う。ものの見方がちょっと変わるかもしれない。

私の父は旅好きで電車の旅というのも好きで、同年代の中でもいろんなところに連れて行ってもらった方だと思う。家族団らんの旅だったかというと、ちょっと違う感じもあったのだけど、それはまた別の話なのでここでは置いておく。ただ、そういう旅好きの性質は子供たちに受け継がれた。

やっぱり人が行き交うところに物語が生まれるもので、東海道に限らずだけれど、日本の様々な街道からどれだけ豊かな文化が生まれたかを考えると、かなり感慨深いというか、リアルタイムで興奮!!という気分になる。

浮世絵や小説を始め落語や講談の題材になったり、独自の旅籠建築が進化したり、景観の整備や名産品がどんどん充実していった街道筋。人が歩き宿泊し情報が行き交い、まるで発酵食品のように文化が深く熟成していった、それが日本の街道なのだ!と平静を装いつつ、興奮してきた。

旧街道の茶屋で一休み

コロナ禍で海外に行けなくなって、国内だってあまり移動できず、しかもちょっとした体調不良を抱えてしまい、気持ちが沈むことが度々あったここ最近。

そんな中でも娘が新しいスタートを切って、私もちょっと気持ちに余裕が出た。東海道をひとり旅してみるのも良いな、と思ったのが今回の旅の発端だ。

東海道を選んだのは、コロナ禍でそんなに遠くは行けないということと(と言っても三重まで行ってしまったけど)、昔から気になっていた宿場町に関わる、いくつかの料理や蔵を訪ねたいという事からだった。

お茶の新芽がきれい。今年は暖かくて芽吹きが早いそう。

さて、そんなことを電車に揺られながら考えつつ、金谷で降り、牧之原台地とよばれる一面の茶畑を歩いて回った。江戸時代には未開拓の原野だった土地が、今は一面の茶畑で一大茶園となっている。

関係者でもないのに茶畑をぶらぶらしている人間は一人もいなかったから(ちゃんと歩いて良い道を通りました)、新芽が芽吹く景観を独り占め。それは良かったものの、茶畑の傾斜は遠目で見るよりも予想外にきつくて、上りきった台地の上にある茶の国ミュージアムでがぶ飲みした冷茶の美味かったこと!

モダンな2色とろろ飯。緑茶ごはんとほうじ茶ごはんにとろろとオリーブオイルをかける。帰ったら真似しよう。

さて一旦戻って、その日は江戸から23番目の島田宿に投宿しました。蓬莱橋で厄落としでした。